はろー、むーあんりみてっどです。今回は、クリエイティブ・ディレクター(電通)である 高崎卓馬さんが書かれた「面白くならない企画はひとつもない」について、私なりの感想やまとめを紹介してさせていただきます。
こんな人にオススメ
- パッとした企画が思いつかなくて悩んでいる人
- コピーライティングや広告について勉強中の人
- アイデアの練り方に苦戦している人
グッドポイント
「わからない」をなくす
20代後半から30代にかけて、うつ病だったことを告白する筆者。そんな彼がたどり着いた結論は、「わからない」をなくすことでした。ものごとを分からないままにしたり、理解が曖昧なままでいると、他人の意見がその隙をつけ込んでくる。そして、目の前のものが良いものか悪いものかっわからなくなってしまう。その心の弱さを克服する為に、自分がうまくいったことの理由やミスした原因などを理解しておく、そうすることで、困難への対処法を持つことができる。
たびたび筆者はセツメイ病やジンセイ病など、比喩として病気という表現をしている。これが個人的に苦手でしたが、この「わからない」をなくすは、たしかに有用な方法だと感じます。何を隠そう、こんな私もうつ病で苦しんでいた時期があります。なので、この曖昧さをなくして再現性の高い対処法をいくつも持っておくと言うのは、心の底から納得できる手段だと思いました。
正論ではなくユーモア
人のこころを動かすのは、正論ではなくユーモアだと著者は語る。例えば、商品の使用前使用後の説明はNGパターン。洗剤を使えばシャツが白くなるのは当たり前。正論ですね。ひとは気持ちよく裏切られたがっているのだという。
これはコピーライティングにおいて、言語化できていない無意識下にあるものを言うというような納得感に基づいた裏切りというものを必要としていると考えます。ああ、そうきたか、というようなもの。これにはユーモアも含まれていると思います。というより、ユーモアというものの性質上、想定外の方向から共感できる言葉が降ってくるから面白いというものがあるので、ユーモアは人を納得させる武器になりうるのだと。
関係ないかもしれませんが、本書籍で紹介されている「映画は本当のことを言う嘘だ」というコピーが印象深いです。
広告において意識される他者
この本では、広告においての他者について書かれているトピックが2つあると考えます。
まず1つ目は、広告を作る側としての他者についてです。広告の企画において、選択肢をたくさんつくることは、他人に選択をゆだねること。したがって、他人の視線を気にした企画になってしまいます。解決策としては、まず企画をひとつまとめて、その長所と短所をそれぞれ伸ばしたり、なくしたりする、手応えがあるまで、それをひたすら繰り返す。この過程を経て、はじめてクライアント目線、上司目線、世の中目線、つまり他社の目線を考えるべきだといいます。
2つ目は、見る側として意識する他者の話です。広告の手法の一つとして、比較広告というものがあるそうです。例えば、ペプシコーラのCM。他のコーラを踏み台にして自販機のペプシのボタンを押す少年んおTVCM。比較広告は海外ではウケて、日本では炎上しやすいらしいです。しかし、ある日本での講演で、筆者は観客にこのペプシコーラのCMを見せたところ、会場は笑いに包まれたという。
なぜ講演では、比較広告がウケたのかという理由を考察すると、テレビが持つ同時性が原因だと考えます。テレビにおいては他の多くの人がこのCMを今見ているという同時性があると言います。「これを見た他の人はどう思うのだろう?」その結果が「他の商品を踏み台にするなんてけしからん」という結論に至ってしまう。つまりは心理的にテレビを見ることは同調圧力があるということなのかもしれない。
テレビが持つマスの部分をここまで意識したことがなかったので、とても新鮮に感じました。
アクションプラン
この本を読んで、私が最低限これだけは実践しようと思ったことは以下の通りです。
正論に頼らず、表現していく
筆者が言う「セツメイ病」にかかりがちだなと思いました。表現が正論というか、ついついただの説明になってしまうことが日々あると感じます。やはりそれでは伝わらない表現になりがちだと思うので、ユーモアや比喩表現を取り入れて、伝わるものにしていきます。このブログにもユーモアが足りていないかもしれないと危機感を覚えてます…
一日一善ならぬ一日一笑を実践していきます。レッツアクション!
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